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大宮地域の民話 第13話:弾正塚

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第13話:弾正塚
   
天文9年(1540)の春、部垂城主の佐竹義元が、佐竹本家の兄義篤から攻められたときのことです。義元は急いで味方の小場城主や上小瀬城主に救いを求めました。上小瀬城主の家老で、小舟館(いまの常陸大宮市小舟)の主でもあった内田弾上左衛門は、3月13日の夜、家臣数名を集めて花見の宴を催していました。そこへ部垂城の義元から至急の手紙を持った使者が来たのです。手紙には、「急ぎ援軍をつかわしてくれ。」と書いてありました。弾正は家来たちとともに急いで武装を整え、その夜ふけに部垂城めざして駆け進みました。夜が明けるころ田子内坂に着いたので、一息いれていたときです。「あの火は何か。」 弾正の指さす方を見ると、赤あかと空をこがすように火が燃えているではありませんか。「部垂城だ。部垂のお城が燃えているのだ。」弾正たちは驚き悲しみました。せっかく駆けつけてきたのに、間に合わなかったのです。間もなく城から使者が来ました。「城は落ちました。城主義元は敵の大軍と戦いましたが、武運つたなく、一族と共に討死されました。」この報せを聞いた弾正は、「われら、遅かったか。申し訳ない。もはや、これまで。」と心を決し、かたわらにあった大きな石にすわって、部垂城の火炎を仰ぎ見ながら、無念の切腹をしました。生き残った家来たちは、弾正の首を小舟に持ち帰って埋葬しました。また切腹したところと、小舟の館との二か所に塚を築いて、ねんごろに供養したのです。弾正の切腹について、史実としては正確なことはわかりません。
弾正塚
そのため伝説としてさまざまに伝えられました。義元の恩義に報いるため出兵したが、主の上小瀬城主に迷惑のかからぬよう、自分が責任をとって切腹したと考えることもできます。弾正塚もほとりに、弾正石と呼ばれる大きな石がかつてありました。馬頭観音としても信仰されたこの石は、田子内原から外へ持ち出すと、火事になるともいわれていました。また若者たちの力くらべの石ともされましたが、なかなか動かせません。ところが、「弾正正念」とさけぶと、持ち上げることができたということです。
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