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大宮地域の民話 第12話:部垂落城

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第12話:部垂落城
   
戦国時代は兄弟も相争う時代でした。太田を本家とする佐竹氏もまた兄弟で争っていました。部垂城主の佐竹義元が、本家を継いだ兄の義篤と対立し、享禄2年(1529)のころから,その争いは12年間にもわたったのです。天文9年(1540)の春のことです。部垂城の大手に,橋が新しく造り替えられました。部垂城主の義元は、「わしの考えていたような橋ではない。」といって普請奉行をはげしく叱りつけました。奉行は「自分も一生懸命やったのに、こんなにひどく叱るとはひどい。」と、ご主君をうらみました。
部垂落城
そして、本家の殿様に訴えたのです。「部垂城主の義元さまは、城の橋を新しくするなど、ご本家に謀反の心があります。」これを聞いた義篤は、「義元を滅ぼす時が来た。」と思い、部垂城を攻める命令を下しました。3月13日、宇留野源兵衛が討手の大将となり、岩瀬豊後守・白石志摩守などおよそ500騎の本家勢が部垂城に押し寄せたのです。城内ではそんなことは知りません。そこへ大軍が攻めてきたので、城中は上を下への大騒ぎです。城にいた50人ほどの武士たちは、勇ましく戦いました。みな勇士たちだったので,負けていません。本家勢の中に切りこみ、切りたてたので、敵は恐れて宮中坂まで退きました。その日も暮れ、本家勢は野陣を張り、夜の明けるのを待ったのです。義元は小場城や上小瀬城(いまの緒川村小瀬)に援けを求めました。翌3月14日は晴天でした。義元はじめ部垂勢は城の守りを固めました。ところがどうでしょうか。部垂城の間道(ぬけみち)を敵に教える者が出てしまったのです。城の後の方から、敵が「ワーッ」攻めて来たので、さあ大へんです。城中は混乱し、とうとう城は本家勢に占領されてしまいました。部垂城主の義元は本城で自害し、その子竹寿丸も討たれ、悲劇のうちに部垂城は滅んだのです。部垂城の真実を伝える記録はあまりありません。そのため、いろいろにいい伝えられました。ここに記したのは、矢数欣三郎著『部垂城記』によったものです。佐竹義元の墓碑は、現在、大宮小学校の校庭に立っています。
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